朽ちる世界樹
朽ちせぬ神殿
永遠を持ちえぬ若葉の温もりを
永遠を強いられる石の冷たさを
たった一人、知る君は―――――・・・
偽りの神、朽ちる永遠
―――――――――・・・
『永遠なんてありえないわよ。』
石造りの空間に不意に響き渡った声に、玉座の少年はゆるゆると顔を上げた。
広大なその空間には、依然彼以外の存在を見ることはできない。もっとも、その声が実体を持っていようとなかろうと、彼には関係のないことではあった。
繊細な睫に縁取られた双眸は、頑ななまでに閉じられている。
色味の乏しい灰色の髪。白い―――ただ、純白では決してありえない色合いの衣。
同色の玉座に腰掛けた彼の姿は、まるでこの空間を構築する無機物の一つのよう。
息を吐いただけで穢れてしまいそうなほど澄み切った空間から、音の波紋がついに消えうせた、その数瞬後。
「―――――・・
そうだね。」
再び、音の波紋は生まれた。ゆるゆると、少年が緩慢に目を開く。
高い高い石柱、彼方から差し込む光。無機物たる石で創られた、決して朽ちぬ神の御座。
朽ちせぬその代償に一切の色彩が死に絶えたその中で、ただその瞳だけが鮮やかな彩光を放っていた。
緑碧。命の色。いずれ朽ちる若葉と同じ。
『世界樹を凍てつかせ、理を捻じ曲げ、死者を呼び戻した。
―――・・貴方の罪は深い。
断罪の時が近づいている』
「“世界樹の巫女”、か。
・・・そうだね。僕は罰を受けなければならない」
濁らない吐息をついて、彼は心を世界へ遡らせた。
◇◆◇
ワアアァアアアァアアアアアア・・・!!
怨嗟の声が聞こえる。
凍える大気。死霊の跋扈する大地。朽ちかけた世界樹に人々は叫ぶ。
『世界樹が朽ちる!世界が朽ちる!
聖なる世界の創り手は何処!生なる樹の護り手は何処!若葉の時代を知る者は皆死に絶えた!
神は我らを見捨てられたか!?』
怒りと哀願と絶望の声。それすら、ついに凍てつく大気の前に死に絶えようとした、その時。
――――・・ふと、曇天に微かな陽光が差し込んだ。
どよめきと共に民衆が朽ちかけた世界樹を仰ぐ。その梢には、光に照らされた二つの人影。
戸惑う民衆の前で、金茶色の髪の少年を連れた少女は言の葉を紡いだ。
『朽ちかけた世界樹は神の不在の証!
聖なる世界の創り手はもはやおられない。
玉座は偽りの神に取って代わられた!!』
シャン!!
黄金の錫杖が澄んだ音をたてた。
緑の黒髪、翡翠の瞳。黄金の錫杖を手にし、陽光の瞳の少年を従えた少女。
世界樹の巫女。そして傍らには、巫女を護る“森人”の少年。
『私は向かおう、朽ちることなき永遠の玉座へ。
私は紡ごう、巨石さえ砕く世界樹の蔦を。
私は誓おう、たとえ全てを失い、この身が石に変わろうとも。
私は偽りの神を斃すと!
――――――“闇”!!』
「・・ッ!!」
カシャァンッ・・!!
金属の擦れあうような音と共に、彼は白い石棺に帰還した。
違う。彼は、一歩もこの神殿から出てなどいない。ただ、望んだだけ。それだけで、世界
は距離と空間と刻を捻じ曲げる。
それが、偽りとはいえ“神”と称される者の力。
『断罪のときは近いわ。
世界樹の巫女、アリックス=アルラートゥ。
森人、レムル。
彼らが貴方を滅し“神殺し”の名を背負う者達。』
「―――――ちがう!!」
これまでにない力をこめて、彼は言った。
「訂正してよ、アリス。彼らは神殺しなんかじゃない」
立ち上がると同時に、アリステアと呼ばれる少年は、何かを抱きとめるかのように両の腕を上げた。
ふわり、とそれに白い衣が纏わりつく。
色素が抜け落ちただけの石の白さではない。陽光の中に咲く白薔薇の白さ、それがその色。
暖かな光が灯った。衣の先から具現化していくそれは、ゆるやかに一人の少女を形作る。
柔らかな金茶色の髪。太陽と同じ橙の瞳。森人の少女。
「・・・だって僕は神じゃない。」
そして、その腕は少女を愛しげに抱きしめた・・・・かに、見えた。
透き通る衣。柔らかい髪。それは触れることのできない幻影に限りなく似た――――
「アリシア・・・・」
“死霊”。
―――――そう。なぜ自分が神などといえるだろう。
哀しげな眼差しの死霊を抱きしめたまま、彼は思った。
世界で一番哀れな人間を殺し。
最愛の者を護りきれず殺し。
彼女を最も望まぬ姿で甦らせるため、世界を凍らせ、世界樹を枯れさせ、世界の理を狂わせた。
何百何千もの罪の無い人々を殺した。
たった一人の少女、己の森人アリシアを呼び戻すために。
“世界樹の神子”。
神の名を持つ彼を殺した己こそが、聖なる世界の創り手とならねばならなかったのに。
「レムリア・・・」
「・・・・・!!」
それでも後悔はしていない。腕の中の幻影に縋り、彼はただ瞳を閉じた。
巫覡と護り手のくびきすら逃れて、ただ二人、永遠に。
見続けていたい。この幸せな悪夢を。
『世界樹の巫女はどう思うかしら?
神を名乗るものが同族だと知ったら』
「驚くだろうね。世界樹神殿は僕の記録を完全に抹消してしまっている。
いつのまにか、僕の名が“アリステア”になってしまったくらいだから。」
アリステア。それは神の名前。闇の名前。
己の殺した青年の名前を口の中で転がす。
彼が若葉の色を持って生まれたとき、世界はすでに闇に満ちていた。
“偽りの神”を斃そうとした世界樹の巫覡は一人だけではなかった。
いたのだ。己を殺そうと向かってくる少女の前に。偽りの神を斃そうとした不覡。
自分が。
◇◆◇
今から百年前。世界樹が朽ち始め、世界は冷気に見舞われた。
嘆きにむせぶ人々。世界樹を管理する一族の、その中で最も力ある存在。
だから自分は選ばれた。
『朽ちかけた世界樹は神の不在の証。
玉座を奪いし闇を滅せよ、世界樹の神子レムリア=アルラートゥ』
『はい』
ただ頷いた。真実を求める気概もなく、己で考える意思もなく。
ただ、ただ、嬉しくて。朽ちかけた世界樹から出られるのが。森人の少女、アリシアと共にゆけるのが。
凍える草原を越えて、蒼く氷った海を越えて。小さな灯火を二人で分け合って、互いの手のひらに温もりを求めて。たった二人で、凍るものすらない石の神殿を目指した。
神の御座。朽ちることなき神殿を。
そして見た闇は独りの青年の姿を持って僕らの前に。
ただ一つの美麗な彫刻の如く沈黙を守る彼に断罪の言葉を突きつけた。
狂った瞳は緑柱石、短い髪は石の白。アリステア。それは神の名前。そして世界を狂わせた闇の名前。
――――伝説に謳われるに相応しい戦いだった。
闇と、神の子を名乗る者の戦い。ほとばしる闇の雷、峻厳な烈光、一片の慈悲すら見せぬ金の輝き。その中で―――・・
「アリシアッ!!」
彼女は、倒れた。僕を守って。白いだけの神殿に、一際鮮やかな血の紅。
森人、神子の守り手。それは最初から決められたこと。世界樹の護る絶対の運命。
――――“森人が生を終えるのは、ただ巫覡の為にこそ。”
獣のような叫びが僕の耳をつんざいた。それが自らの口から発せられるものだとも気付かず、僕が突き出した黄金の杖は、青年の胸を貫き―――――・・・
『・・・・・ありがとう』
そして、ごめんなさい。
初めて聞いた彼の声はどこまでも空虚で物悲しく。
「なん、で・・・・」
石の神殿が歪む。生をもたざるものの閉じ込めてきた、全ての記憶が胸の内に。
血に濡れ、死骸に埋もれた大地に一人の兵士が立っていた。
まだ幼さの残る、緑柱石の瞳の青年。彼は嘆いていた。どこまでもどこまでも純粋に。
そして彼は祈る。
『世界に理を。世界に秩序を。世界に、平穏を!!
そのためなら私の全てを捧げよう!!』
――――――・・!!
そして世界樹は生まれる。
新しい大地の色の樹皮、彼の瞳にも似た若葉。
枯れた大地は甦った。白い骨は寄り集まり、遥かな高みに座す巨大な神殿となった。
青を取り戻した空に、空虚な声が木霊した。
『最も弱き人の子よ。
ならば、我は汝に世界の全てを与えよう。
神の名は汝の名。
朽ちることなき身体と神殿。
絶対の理を表す世界の樹。
その代償は――――――汝の全て』
「―――― !」
かくて彼の全ては奪われる。
理と、秩序と、平穏に満ちた世界と
しかし決して彼には触れられない世界
それは、自分のためには魔法の使えない御伽噺の哀れな悪魔にも似て。
「 」
叫ぶ声も失った。祈る声も途絶えた。
誰よりも神に近く
誰よりも闇は深く―――――
時が過ぎれば過ぎるほど、空虚な穴は広がって。
そして彼は狂った。
“永遠”を朽ちさせるために。
◇◆◇
黄金の杖に貫かれた彼は、血の一滴すら残さず消えた。
永の年月、世界を支え続けてきた青年の成れの果て。
己の全てを捨ててさえ世界を平穏に導こうとした彼は、だが狂った瞬間から“偽り”と呼ばれた。
僕は、石の神殿に座り込む。
神殿は彼を失っても綻びすらしない。黄金の杖の向こう、白い骨の玉座を見たとき、僕の心で何かが弾けた。
「アリシア・・・・」
血に染まり、石の神殿の中果てしなく不似合いな少女の骸を抱き上げる。
進む。
滴る血の温もりを感じながら、僕は冷たい玉座に腰を下ろした。
だんだん冷えてゆく少女の身体を抱きしめながら、そして僕は彫像のように瞳を閉じる。
『聞け、全てを奪いし者よ――――――“神”の座は、僕が受け継ぐ!!』
叫ぶと同時に、世界が変質した。
激しい苦痛。襲いくる虚無感。
体中から色素が抜け落ち、腕の中の骸がさらさらと崩れてゆくのを感じながら、僕は念じ続けた。
『世界よ従え』
と。
数千年、あるいは数瞬の時が過ぎただろうか。刹那、無慈悲な白光があたりを染め上げ、僕はゆるゆると眼を見開いた。
静謐な神殿。破壊のあとも血の痕もない。
白い衣をまとった己を見下ろして、僕は世界を掌中に見る。
かくて戴冠はつつがなく終了する―――――・・・
◇◆◇
『過去に夢見るのももう終わり。』
その言葉に、彼は微かに頷いた。
「ああ。」
生なき、ゆえに朽ちせぬ神殿がゆらぐ。
確実に聞こえてくる、小さな二つの足音。
きっと、あの時彼も聞いたであろう、生者の音。
偽りの神――――それは、全てを捧げ、神の御座についた青年から、その座を簒奪した己にこそ相応しい。
唇に、いまだ紡げる言葉が残っていることを嬉しく思う。
巨大な白い扉が開き―――――・・・
「―――――・・断罪の時は来たわ。
偽りの神。」
緑の黒髪、翡翠の瞳。
黄金の杖をたずさえた少女を前に、瞳を閉じた彼は胸の奥で笑った。
この瞳を開いたとき、彼女はどんな反応をするだろうか?
純粋すぎる少女の声を遠くに聞きながら、そして彼は緑碧の瞳を開き。
・・・――――――そして、神の子と闇の戦いが、再び。
◆END or …?◆
◇後述◇
某友人から頂いた詩を元に書き起こしたもの。本人の了承がとれしだい元の詩も上げるかも知れない。
実は続編の書きかけがあるのですが果たしてどうするか…