藤に非ず
「―――――“藤灯籠”、と申しますそうですよ。」
ささやくように、女が言った。
「ふぅん・・・」
まどろむような薄闇に、やはりどこか茫洋とした風に男が応えた。
女の柔らかな膝に転び寝、そのぬくさと甘い香と上等な衣のさやさやとした肌触り、ついでに夜目に白い女の首筋までを、存分に堪能している。
「“牡丹灯籠”なら、知っているがなぁ。」
寝息のような吐息と共に呟く。
『怪異譚牡丹灯籠記』。大陸渡りの物語。
牡丹の灯を手に、生きた男へ通う鬼女の悲恋奇譚。
「似た様なものでございますよ。」
さらり、と思いのほか癖の無い男の髪に手を差し入れ、女は続ける。
「かの奇譚の女が牡丹の灯籠を手に男に通った様に、それは灯の燈った藤をゆらして、男を連れてゆくそうですよ。
それも、牡丹と違い、一途に一人でなく眼にした全てを。」
「それは怖い。」
たいして恐ろしくもなさそうに、男は瞑目した。ふと。
「・・・何故、全てをさらうのに藤の灯籠だとわかる?」
「あいや、これは。つれてゆかれるのは、男だけの様で。」
「ふぅん・・・」
再び吐息。
「――――――・・・ 夜は、危のうございますよ。」
「そうさな。」
「ならば、今宵はこのまま」
「そうさな。」
「わたくしの元で。」
「
男が、女の名を呼んだ。
「―――――――藤の、女か。」
「あい。」
「お前ではあるまいな?」
揶揄するような男の声音に、ふじと呼ばれた女は芝居がかった風に柳眉を寄せた。
「またその様な。」
藤色の衣で唇を覆い、拗ねた様に詰るように台詞を連ねる。
男の意図する掛け合い台詞を。
「非道い人、非道い人」
いやいやと首を振れば、簪がしゃらしゃらと鳴く。
降り注ぐ涼しげな音に、男は目を細め。
「もし、お前が藤の鬼ならばな。
お前、俺をつれていっては、くれぬか?」
ぽつり、つぶやき。興に乗じた風を装い、切なる情を込めた、風。
「非道いお方。」
続けざま、打てば響くよな女の声。
・・・ぷつり、途切れたは噛んだ唇の所為。
「ついてきてなど、くれぬくせに。」
尖らせた唇で、いじらしい台詞。
秘めた刹那さを朧闇と酒気にひた隠し。
「だから、つれてゆけという。」
「その様な無体な願い。ひどいひどい。」
「つれていっては、くれぬか。」
「それは無理なご相談。
なぜならわたくしはふじにあらず。」
しゃらん。
静謐。静かに、涼やかに。女の在り様そのままの態で示された答えに、男は初めてその茫洋とした目を微かに見開いた。
「藤に非ず、か。」
「ええ、ふじに非ず。」
わたくしは、と、一度噤んだ唇の朱さに眼を奪われた男が
「あなた様の不二に非ず。」
その違えた意図にたどり着くことはなく。
そしてそれこそまさに女の意図するところ。
「俺には手折られぬか、ふじ、藤。」
男の手が伸びる。その手に
「ひどいおかた」
甘く、また夢うつつであるべきの睦言にあるまじく、藤の女は心の底から呟いた。
■ ■ ■
――――――藤の鬼など、非道い。
「わたくしが、あなた様以外をつれてゆきましょうか。」
つれてゆけなど、非道い。
「ええ、ええ。他の殿方になど目もくれず。」
手折られぬかなど、ひどい!
「とうに捥ぎ取ってしまわれた藤を手に、あなた様はそれを見ようともしない。」
―――――ゆらり。
宵闇のどこかで、藤の情火が揺れた。
■ふじにあらず■
なにやら遊郭っぽい。藤と不二(唯一)をかけてみました。
ひらがな発音と時代がかった口調が好きだ。でも間の取り方って難しい。
ちなみに実は鬼の藤灯籠と遊女“ふじ”はまったく関係なかったり。五色あたりとからめて続かない続編を・・・書けたら・・・いいなぁ。